「想像力は、宇宙を包むことができる」
とアインシュタインは言いました。
僕は、人間の想像力に興味があります。
想像力は時間を自由に行き来することができ、空間に囚われることもなく、光のスピードさえも超えます。
物事を説明することは、理解への難易度を下げることができますが、同時に想像力に縛りを掛けます。
100の理解まで引き上げることはできても、120の世界に到達するためには想像力が必要です。
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原作を読んだことのある作品の映画を観て
がっかりした経験はありませんか?
僕は何度もあります。笑
自分の頭の中で無限に広がっていた色彩は、いざ映像化されると途端に色褪せてしまい、あんなにもキラキラと輝いていた美しいイメージは幻へと消えて去ってしまいます....(すべての作品とは言いませんが)
作曲するときも同じことに陥りやすいのですが、これは脳内のイメージを具現化するときのジレンマと言えますね。
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現代社会においては具体的にすることが好まれるようですが、抽象的な状態のほうがずっと自由で楽しいはず、というのが僕の仮説です。
俳句が森羅万象を表現できるのは、5・7・5という限られた音数のなかに、そもそもすべてを詰め込もうとしていないからです。
蓮根の穴に時空の歪みあり
(平夜繭)
もともと解釈の余白がある前提で、作り手も受け手も想像力を働かせる———こういう遊びって、人間の特権だとおもいます。
「すべてを語らず、受け手に委ねる。」
というQUTOTEN.の哲学には、そんな背景がございました。
是非とも自分の感覚や解釈を信じ、それを楽しんでいただけると嬉しいです。
どんなものであっても、僕はその世界を応援します。
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